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トーマス・アルバ・エジソンの経歴プロフィールを紹介

物理-歴史・伝記

トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison 1847/2/11-1931/10/18)

 

アメリカの発明家で生涯1300の発明、起業家である。研究所の地名にちなんで、「メンロパークの魔術師(The Wizard of Menlo Park)」と呼ばれ、映画の父ともいわれています。ゼネラル・エレクトリック(GE)社の創業者です。

 

ミラン(オハイオ州)で7番目の子供として生まれ、彼が7歳のときに、家族はポートヒューロン(ミシガン州)に移転しました。

1854年に小学校に通い始めますが退学になり、母から教わりながら自宅の地下で実験に没頭するようになります。

12歳で鉄道会社の新聞売りを始め、鉄道車内で新聞を発刊し、販売していました。

15歳のとき、駅で少年が列車にはねられるのを救ったことで、駅長であったその少年の父から最新の電信を教えてもらいました。

その後、電信の腕前が向上し、米国各地で電信技士の仕事をしながら発明をしていました。

1868年10月28日に彼の最初の特許、電気投票記録機を出願しました。

1869年に株価表示機能登の特許を取得し、この特許を4万ドルで売り、発明家として歩み始めます。

1876年にはニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立します。ここで、1877年に蓄音機の発明で名声を獲得ます。電話、電気鉄道、鉱石分離機、電灯照明などを発明します。

1876年にグラハム・ベルが電話を発明(電話の歴史)すると、1877年頃には炭素マイクと静電型(コンデンサ型)マイクを設計し、カーボン粒子を利用した炭素送話器(carbon block transmitter)を発明し1877年4月27日特許をとり、このマイク(マイクの歴史)が実用化され、電話会社ウエスタン・ユニオン・システム(Western Union System)に採用され、大量に使用されるようになりました。

1877年ごろ電球の研究に着手(電球の歴史)し、1879年春には白金コイルを発光体とした電球を製作した。1880年には日本の京都男山八幡付近の竹の繊維を炭化したフィラメントが適していたことから、これを使用した高抵抗フィラメントの電球の製作に成功します、以降9年間このフィラメントが使用され続けます。

1880年にはエジソンランプ会社が設立され、ランプの販売とそれに必要な電気の販売のために発電所の建設を始めました。

1877年には錫箔の円筒形のレコードを利用した蓄音機を発明しました。

1879年白熱電球を発明し、それを点灯する電力を供給するための直流発電機と電動機(モータ)を発明しました。

1882年には、電球需要に対応するためにニューヨーク市に発電所を建設しましたが、その方式が直流であったことから、後にテスラやウエスチングハウス達の交流方式の敗れてしまいました。

1887年にウェストオレンジ研究室に移りました。

1888年には映画を発明します。

1889年には関連会社を合併して「エジソン総合電気会社(Edison General Electric Company)」となります。

1892年に Thomson-Houston Company と合併して社名からEdisonが削除され、 General Electric Company となって、これ以降、経営から離れ、研究発明に没頭することになります。

1913年にはトーキー(音の出る映画)を発明しました。

1914年67歳の時、研究所が火事になって全焼する不幸が襲います。試作品や書類など膨大な資料が焼けてしまったのですが、それに臆することなく「また今から始めればいい」と言って精力的な研究活動を続けました。

1931年10月18日に84歳でなくなるまで発明研究の活動は続きました。

死後全米で彼の死を弔うために1分間の消灯が実施されました。

エジソンの言葉として一般に知られる「1%の閃きと99%の努力」という表現は、努力の大切さを訴えたものと理解されているようですが、実際には「いかに努力をしようとも、閃きが欠けていては失敗する」という趣旨であったようです。

その生涯においておよそ1300もの発明を行ったアメリカの大発明家であり、起業家でもありました。