パウリの排他律の発見や電子のスピンの提唱者として有名な理論物理学者のヴォルフガング・パウリ(1945年ノーベル賞受賞)は少し変わった人だったようです。
電子のスピンはアルカリ金属の発光スペクトルの研究中にパウリによって発見されましたが、その解釈に関してラルフ・ローニンが電子の自転によって発生すると考えることを提案しましたが、パウリはその考え方では電子の表面速度が光の速度を超えてしまうことから激しく批判し、そのためローニンはこのアイデアを公表しませんでしたが、その年の秋にオランダの若い物理学者が同じ考え方を簡単な報告書で公表し、先を越されてしまいました。
このように、議論になると激昂し易かったようで、彼に対するある種の皮肉とからかいを含んだ逸話があります。
物理学者には主に実験の実施をする実験屋といわれる人たちと主に理論作りをする理論屋といわれる人たちがいて、その間には微妙な軋轢があるようで、彼の仲間達の間では、彼を実験装置に近づけると何か不具合が生じる恐れがあるというジンクスがありました。とはいっても、まったく根拠がないわけでもありません。
1948年のチューリッヒで、深層心理学の大家であるカール・グスタフ・ユングを顕彰するユング協会がパウリを招待していたとき、彼が部屋に入ると中国製の花瓶が落下して壊れてしまいましたが、何か外部の影響があったわけでもないにもかかわらずこの事件が生じてしまいました。
さらに、彼がプリンストンを訪問中に、プリンストン大学のサイクロトロンが突然火災を起こし完全に破壊されてしまいましたが、この火災の原因はいまだに不明のままです。
このような実験の不成功に繋がる実験装置の故障、誤動作、破損等の偶然が重なって、後にパウリが近くに居たことが明らかになるのです。 特にパウリの仲間である実験物理学者たちは、このような事象の発生を密かに恐れていました。
これが「パウリ効果」と呼ばれるもので、特に、ステルン・ゲーラッチの実験(電子のスピンには上向きと下向きがあることを実験で証明した)で有名なオットー・ステルンはパウリ効果を恐れるあまり、パウリの研究所への出入りを禁止したほどです。(おまえは俺のおかげでノーベル賞を貰えたのだから、もっと敬意を払え?)
このような彼のオーラは広く知られるようになっていて、特に彼の仲間たちにある種の懸念(彼が近くに居ると実験が不成功となる)を抱かせるようになっていました。実験屋にしてみれば、失敗は自尊心の傷つくことで、それを乗り越えてこそ本当の成功があるのですが、現実に失敗が起きると、その原因を他に求めたくなります。
当然のことながら、最先端の実験では数多くの失敗の上に成功があるので、成功するのは極まれのことで通常は失敗の連続といった方が正しいのでしょう。従って、実験装置や、実験関連装置は彼がどこに居ようが必ず壊れたり、誤動作したりするものですのですから、そのとき、彼が近くに居ることも当然です。実験屋たちはそのこと(彼が良く現場に出かけ、実験に文句を付けた?) が、実験者達にある特別な緊張を強いることになり、故障や不都合が生じ易くなるためであるという言い訳をして、パウリ効果が発生したのだからやむを得ない(自分の未熟さのせいではない?)として密かに安心していたようです。
一方、彼自身はそのような事象があると反面面白がっているようでもあり、そのような彼の仲間たちのユーモア(口撃)に対し、時々、ジョークで応酬していました。 ポール・アレンフェストに宛てた彼の手紙の中で、それは“神様のむち”であるとジョークの応酬を書いています。
そして、理論家らしく、難しい言い訳をして煙に巻いていたようです。それは、二つの事象(一つはパウリがそこに居た)が同時に発生したことは、深層心理学のシンクロニシティ(Synchronicity 共時性(きょうじせい)とも言う)のように因果関係が無くても発生する現象であり、明確な原因と結果で説明はできないけれど、将来それが解明されるかもしれないといっていました。しかし、彼にはある種の心理学的な力を送って、奇妙な事故を引き起こす能力があるとする、仲間の実験屋たちの恐れは消えませんでした。
しかし、彼自身もこの能力について真剣に悩んでいて彼の大学の有名な心理学者ユングの心理分析を受けたりしていましたが、ついに、 彼のこれらの経験はユングと共にシンクロニシティについて共同で著書を出版するまでになってしまいました。
それは1952年ユングが初めてを視野に入れてシンクロニシティの理論を発表した『自然現象と心の構造』(海鳴社)でした。
凡人には理解できない一見突飛なこの理論ですが、超心理学のユングと量子力学のパウリという二人の偉大な天才たちにとっては、将来科学的な根拠が発見されると信じるにたる理論なのです。
彼のいうシンクロニシティとは、何か二つの事象が発生し、因果性では関係を持たないのに、繋がりがあると思われる現象(相関性)が生じることをいいます。
この相関性という言葉の意味は因果関係を意味しないのですが、二つの現象間にあるかもしれない物理的な性質のことで、独立して発生した現象の物理的な因果関係を説明(観測)できないが、全体としてみると(統計的に)明確な関連があるのは相関性を持つことを示しており、量子力学では電子の波動性や不確定性原理等で取り扱われている現象です。
ところで、この「パウリ効果」が意外な現象を生起こすことは理解いただけたと思いますが、パウリが発見した原子の電子配置を決める原理は、なぜ「パウリの原理(Pauli principle)」か「排他律(exclusion principle)」ではなく、「パウリの排他律(原理)(Pauli exclusion principle)」なのでしょうか。
現在では「パウリの原理」を使う人も増えているようですが、一般に原理や法則等の名前は「オームの法則」のように[「人名」の「原理、法則、定理」]の形か,「不確定性理論(Uncertainty principle)」のように[「機能」+「原理、法則、定理」]の形が一般的ですが、あえて[「人名」の「機能」+「原理、法則、定理」]の形にして、さらに否定的な意味を持つ「排他exclusion」という言葉を使ったのか、もう少し適切な名前があったのではないかという疑問があります。
一説には、パウリ自身がパウリ効果を気にしていて、「パウリの原理」だと「パウリ効果」と混同されてしまうのではないかとの懸念を持っていて、この混同を避けるのと、彼の中間達への皮肉をこめて、「パウリの排他律(原理)」としたのではないかとの説があるようです。