ある元素を加熱すると特定の波長の光が出ることが早くから知られていましたが、その発光のメカニズムは理解されていませんでした。
ナトリューム元素を加熱して、その発光スペクトル線を観測するとある波長で強く輝く線があります。
1896年にオランダの物理学者ピーター・ゼーマン(Pieter Zeeman)はその光源に磁界をかけたときに、光スペクトル線が数本に分かれることを発見しました。これがゼーマン効果(Zeeman effect)と呼ばれています。
当時は1897年J・Jトムソン(J.J.Thomson)が電子を発見(トムソンの実験)するよりも前のことですので、原子に構造がある(原子とはこれよりも小さく分割できない存在とされていました)ことはまだだれも考えていませんでしたので、原子の中に電荷を持った粒子が存在していて、それが振動していなければならないと考えられていました。
J・Jトムソンによって電子が発見されると、原子にはそれを作っている、何らかの構造があることが考えられ、その中で電子がどのように振動しているのかを説明する必要に迫られました。
それを説明できる具体的なイメージを持ったモデルの構築に最先端を走っている科学者たちの努力がなされるようになりました。
1911年にラザフォードが原子核を発見(ラザフォードの実験)し、原子の構造が明らかになり、1913年にボーア(Niels Bohr)はボーアモデルで、従来発見されていた水素の光スペクトルの説明をしました。
このモデルでゼーマン効果を説明するのに電子が自転(地球が自転しながら太陽の周りを公転)していると考えれば説明ができるのではないかと考えられましたが、辻褄が合わず、電子は磁気双極子(小さな磁極(S極とN極)が対になった)を持っていて、それが電子軌道を移動するときに外部から磁界が与えられると、その磁界との相互作用によってエネルギーが生じると考えるようになりました。このエネルギーの差が光スペクトル線の分離を引き起こすと考えていました。
更に、1922年にステルン・ゲルナッハの実験(Stern-Gerlach Experiment)で、磁界中を銀原子が通過するとき通過経路が上向きに変化するものと下向きに変化するものがあることが発見され、電子には2通りの磁気作用があると考えられるようになりました。
電子の磁気モーメント(Magnetic moment)には2種類(上向きと下向き)があり、そのエネルギーの差にもエネルギーが増えるものと、減少するものの2種類があることからスペクトル線が2本に分離します。
従って、ゼーマン効果は磁界と磁気モーメントの相互作用で電子の持っているエネルギーが変化して、電子の遷移時に発生する光のエネルギーにその変化が現れて、スペクトル線がエネルギーの変化分だけ変化する現象であるといえます。
水素原子の例
3s軌道に遷移した電子が2p軌道に遷移する場合には外部磁界が無くてもスペクトル線の分離が生じている事が知られていますが、これは電子が軌道運動をすることによって磁界が発生し、それと電子の持っている磁気双極子の相互作用によって生じる藻にであると考えられ、このような現象を内部ゼーマン効果と呼びます。