絶縁体としての樹脂(プラスチック)の歴史概要

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樹脂

 樹脂(resin)とは元来、植物から得られるものを指すのですが、良く似た性質を持つ物質を合成できるようになっり、それらも樹脂と呼ばれたことから、天然の樹脂を天然樹脂、人工的に合成されたものを合成樹脂と呼んで区別するようになりました。

 天然樹脂は樹木の皮から分泌される樹液に含まれる不揮発性の固体または半固形体の物質で、天然ゴム等があります。

 合成樹脂は人工的に合成される天然樹脂と良く似た性質を持つ物質で、単に樹脂といった場合には合成樹脂を指すことが多くなっています。

 樹脂には加熱成型した後で、再度加熱すれば柔らかくなり元の形に戻る「可塑性を持つ物質」をプラスチック(plastic)といい、このような性質を持つ樹脂を熱可塑性樹脂といい、一方、加熱し固化したものは再度加熱しても溶けないものを熱硬化性樹脂(Thermosetting resin)といいます。

 プラスチックは元々は「可塑性を持つ物質」を指すのですが、合成樹脂を指すことが多くなっています。

 合成樹脂で作った繊維のことを合成繊維といい、その繊維を糸にして布を織ったものなども合成繊維といいます。

 

天然樹脂

 動物や植物が分泌する有機物で、加熱すると軟化しアルコールなどに溶けるものが多く、炭素,水素,酸素などを含む有機化合物です。

 樹幹や木材からの樹液    例: ロジン,カナダバルサム,グッタベルカなど

 昆虫の分泌物         例:シュラックなど

 樹脂の化石           例:コハクなど

 

合成樹脂(Synthetic resins)

  熱硬化性樹脂     例:フェノール樹脂,メラミン樹脂,エポキシ樹脂,ユリア樹脂など

  熱可塑性樹脂     例:ポリ塩化ビニル,ポリエチレン,ポリプロピレンなど

  合成ゴム         例:ポリイソプレン,ブタジエンなど

  人工繊維         例:ナイロン,ビニロン,アクリル繊維,レーヨンなど

 

合成樹脂・プラスティク(plastic)

  プラスティク(plastic)は元来専門用語で「可塑性をもつ物質」という意味ですが、ほとんどの合成樹脂が熱可塑性を持つことから、合成樹脂全般を指すことが多くなっています。しかし、ゴムや塗料・接着剤などはプラスチックと呼ばず、合成樹脂と呼ぶのが一般的になっているようです。

 

熱硬化性プラスチック 

  成形時に熱によって軟化し化学反応により固化する。その後加熱しても軟化したり融けない。

 例フェノール樹脂,メラミン樹脂,エポキシ樹脂,ユリア樹脂など

 

熱可塑性プラスチック  

  加熱すると軟化して加工できるようになり冷却すると固化する。また加熱すると軟化し繰り返し使用可能。

 例:塩化ビニル樹脂,ポリエチレン,ポリプロピレンなど

 

合成樹脂の歴史概要

1835年にユストゥス・フォン・リービッヒ(Justus von Liebig)とアンリ・ヴィクトル・ルニョー(Henri Victor Regnault)により塩化ビニルとポリ塩化ビニル粉末が発見されたのが合成樹脂の始まりといわれています。

1851年にネルソン・グッドイヤー(Nelson Goodyear米)がエボナイトを開発(特許us8075)し、チャールズ・グッドイヤー(Charles Goodyear)等によって商業化されました。

1856年にアレキサンダー・パークス(Alexander Parkes英)はセルロースを原料とする人工の象牙(最初の合成樹脂で商標Parkesine)を発明し、1862年のロンドン万博に展示して注目を集めました。これが、セルロイドという商品名でよばれる樹脂でした。

1869年にアメリカで開発されたセルロイドが初めて商業ベースに乗ったもので、ニトロセルロースと樟脳を混ぜて作る熱可塑性樹脂でしたが、植物のセルロースを原料としているので半合成プラスチックと呼ばれることがあります。

1870年にアメリカでセルロイド(celluloid)という商標が登録され、セルロイドでビリヤードのボールが大量に作られるようになり、合成樹脂産業が始まったのです。

1872 年にEugen Baumannによって塩化ビニルの固体を入れたフラスコを日光に当てておくとフラスコの内面に白色の固体ができることが報告されていました。これが塩化ビニル重合体(ポリ塩化ビニル)の発見でした。

1909年にレオ・ベークランド(Leo Hendrik Baekeland米)がベークライト(Baekelite商品名)の工業化に成功し、動植物を原料としない本格的な合成樹脂の第一号といわれています。

1909年にフリッツ・ホフマン(Fritz Hofmann独)の研究グループはイソプレーンの重合に成功し、それを使って、最初の合成ゴムが作られます。

1926年にBFグッドリッチ社(B.F. Goodrich Company)のワルド・シーモン(Waldo Lonsbury Semon)はさまざまな添加物を混ぜ合わせることでポリ塩化ビニルを柔軟で加工しやすい材料にすることに成功します。ポリ塩化ビニルの商品化に成功し、化学工業の始まりになりました。

1927年にヂュポン社は極秘の研究開発チームを立ち上げ、絹のような繊維を開発し、最終的には絹のストッキングを作ることを目標にして、その後の12年間に2700万ドルを注ぎ込んで人工繊維のナイロンを開発しました。

1933年英国のICI社(Imperial Chemical Industrial Limited)の(Eric William Fawcett and Reginald Oswald Gibson)によってエチレンを高温高圧にしてポリエチレンを作る合成法が発見されましたが、その実験を再現するのが難しく商品化されませんでしたが、第二次世界大戦中に英国で実用化され、電気的な特性が優れていたことから、レーダーケーブルの絶縁に使用しされたようです。

1939年にヂュポン社は人工繊維のナイロンをニュヨーク万博に出展し注目を集めました。

  第二次世界大戦後の石油化学の発達により、石油を原料として多様な合成樹脂が作られるようになり、 日本では、1960年代以降、日用品に多く使用されるようになります。

1953年にドイツのツィーグラーがチーグラー・ナッタ触媒(Ziegler-Natta catalyst)として知られるハロゲン化チタン系触媒が開発されると、高性能のポリエチレンが安価に製造されるようになり、世界的にポリエチレン製品が広まっていった。

1970年に架橋ポリエチレンの実用的な生産方式(特許us3534132)が開発され電力ケーブルに適用できるようになりました。

1976年に(Walter Kaminsky、Hansjorg Sinn独)はメタロセン (metallocen) を触媒に使用する方式を開発し、生産効率が飛躍的に向上したことで、ポリエチレンが安くなり、多様な製品群が世界中に広まっていきました。

プラスチック以前の絶縁物 

1.アスファルト(Asphalt)

 原油に含まれる炭化水素類の中で最も重質のもので、減圧蒸留装置の減圧残油がアスファルトで、これをストレートアスファルトといい、ストレートアスファルトの性状を改善するため、溶剤抽出(溶剤脱瀝)や空気酸化(ブローンアスファルト製造)などの処理を行うことで、粘度の高い液体にし、常温ではほとんど流動しなことから道路の舗装や防水剤などに使されます。

  トリニダード・トバゴでは純度の高いアスファルトが天然で噴出し、湖を形成するという稀なケースが見受けられますが、これは、地中の原油から揮発成分が蒸発し、アスファルト分のみが残ったものと考えられています。

 アスファルトの歴史は古く、古代から天然のアスファルトが使用されていた。

 天然アスファルトは主に接着剤として使われ、旧約聖書の『創世記』ではバベルの塔の建設にアスファルトが使われているとの記述があるようです。

  アスファルトという単語が英語に現れたのは原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからで、このため、英語においてもギリシア語のασφαλτοσ(asphaltos)からの外来語であった。a(しない)とsphalt(落とす)という意味からきたものと考えられています。

 

  明治期に佐藤伝蔵による東京大学人類学教室の資料調査においてアスファルトの付着した遺物が発見され、佐藤初太郎がアスファルトであると確認しました。藤森峯三は秋田県昭和町において縄文時代のアスファルト産出地を確認し、現在では原産地を特定する技術が確立され広域に流通していたことが確認されています。

  その結果、日本では北海道から日本海側の秋田県や山形県、新潟県などで天然アスファルトが産出し、縄文時代後期後半から晩期にかけて、熱して石鏃や骨銛など漁具の接着、破損した土器や土偶の補修、漆器の下塗りなどに利用され、関東地方でもアスファルトの付着した遺物が出土し、黒曜石やヒスイなどとともに縄文時代の交易を示す史料にもなっています。

 

2.エナメル(enamel)

 エナメルは古代エジプトの時代から利用されてきた素材です。当初、宝飾用に利用されていましたが、時代が進むにつれて小物の装飾品に多くが採用されていきまが、19世紀後半になると日用品にまで利用される、エナメル製品全盛時代を経て現在に至っています。

 ローマ時代のエナメル技法はガラス容器を飾るもので、原料は無色のガラスに色を付ける着色剤として使用されている金属の酸化物を粉末にしたものが利用され、無色のガラス容器にこの粉末を塗布して炉内で加熱しますが、ガラス容器が溶ける温度よりは十分に低い温度で粉末が溶ける必要があり、粉末の選択と炉内温度を制御する技術が必要になります。粉末の中の成分が溶け出してガラス質を形成します。粉末中に少し入れる金属の種類を選ぶによってさまざまな色彩を作ることができ多彩な製品が出来ました。

 

3..ゴム

 天然ゴムはゴムノキの樹液に含まれる物質で、これを集めて精製し凝固乾燥させたものを生ゴムといい、消しゴムなどに使われていましたが、1839年にチャールズ・グッドイヤーにより発見された加硫により広い温度範囲で軟化しにくい弾性材料とななり、更に炭素粉末を加えて加硫すると硬質ゴムになったことから利用範囲が拡大しました。特に、空気入りタイヤは自動車の発展と共に急拡大していきます。

 また、 天然ゴムにグッタペルカという、東南アジアに野生するアカテツ科の常緑高木グッタペルカノキ (Palaquium gutta) などから作られる天然樹脂の一つですが弾性を示さないものがあり、絶縁材として海底ケーブルの重要な役割を果たすことになります。

 

1736年にCharles Marie de La Condamineはフランス科学アカデミーにゴムのサンプルを紹介しています。

1751年にはゴムの特徴についての報告書を提出しましたが公開されたのは1755年になってからでした。これが、ヨーロッパにゴムが紹介された最初の報告書のようです。

1770年にJoseph Priestleyは南米(ゴムの木の原産地)からゴムのサンプルを英国に持ち帰り、そのサンプルで紙面に書いた鉛筆のマークを擦る[rubbing]と綺麗に消えてしまうことから、ゴムのことを[rubber]というようになりました。

1839年アメリカのチャールズ・グッドイヤーCharles Goodyearにより生ゴムに硫黄を加えることで弾性や強度を飛躍的に向上させる加硫工程(US Patent No. 3,633 on June 15, 1844)が発見され、1843年にイギリスのトーマス・ハンコックThomas Hancockにより、反応の仕組みが解明されました。

 加硫は加えられた硫黄を媒介として分子が結合し、固体のように立体的な結合になることから、弾性や強度が飛躍的に向上します。この反応は架橋反応の一種です。

1867年に車輪の外周にゴムを取り付ける手法(ゴムタイヤ)が利用されるようになり、それまでの金属、木の車輪から脱皮することになります。当時のゴムタイヤは空気入りではなく、ソリッドゴム(総ゴム)タイヤでした。

1845年にロバート・ウイリアム・トムソン(Robert William Thomson英)が空気入りタイヤを発明(特許us5104)しましたが、実用化にはなりませんでした。

1888年にジョン・ボイド・ダンロップ(John Boyd Dunlop英)が自転車用の空気入りタイヤを実用化しました。

1895年にミシュラン(Michelin仏)兄弟は自動車レース(パリ・ボルドー往復1200km)で空気入りタイヤを使用し完走ました。これが、空気入りタイヤの自動車への最初の適用でした。

1896にはグッドリッチ社(BFGoodrich米)から自動車用空気入りタイヤが販売されるようになりタイヤ産業が始まりました。

 

4.天然繊維

 

(1)亜麻

亜麻(アマ)は麻(アサ)と間違えられることがあるが、麻よりも柔らかくかつ強靭で肌触りが良い繊維で、フランス語ではランと発音され、女性用の下着ランジェリーは亜麻を使用した着物に由来しています。

BC8000年頃ティグリス川・ユーフラテス川に亜麻が生えていたことが確認でき、BC5000年頃には亜麻の繊維を使用した織物(リンネルlinen)が古代の中近東で肌着としてよく使われ、古代エジプトではミイラを巻くためにも使われ、高級なリンネル製品は古代エジプトのファラオの埋葬に使用されている

イエス・キリストの遺体を覆った「聖骸布」もリンネルであったことが聖書の記述にあるようです。

古代ギリシアや古代ローマでは純白のリンネルが珍重され、

1717年にリンネルの袋に粉を入れ、湯の中につけてコーヒーを浸みださせるという考案があった。

 
(2)綿

木綿(cotton)の原産地はインドとアフリカといわれ、BC5000~3000年頃にはエジプトで綿織物が作られるようになり、BC2000年にはインドでも栽培されるようになりました。

1793年にイーライ・ホイットニー(Eli Whitney)は綿繰機の特許(March 14, 1794)を取得し、綿糸の大量生産が始まり、1884年にエドモンド・カートライト(Edmund Cartwright)は自動織機(力織機)を発明し、綿織物の大量生産が始まり、イギリスの産業革命が始まります。

 

羊毛 (wool)は羊の毛またはそれで織った(布毛織物)のことで、

牧羊の始まりはBC9,000年~7000年頃に中央アジアの高原だったろうと言われています。BC3,000 年頃にはバビロニアで毛織物が作られた記録があります。

毛織物を広げたには古代ローマ帝国でした。

 

(3)絹

 絹(silk)は蚕の繭からとった天然の繊維 独特の光沢を持ち、古来より珍重されてきました。

絹の生産はBC3000年頃の中国で始まっていたとされ、前漢の時代には蚕の養育方法が確立し、北宋時代には公的需要の高まり生産が盛んになった。他の地域では絹の製法が分らず、非常に古い時代から絹は中国からインド、ペルシャ方面に輸出されていて、その交易路はシルクロード(絹の道)と呼ばれ、BC 1000年頃の古代エジプト遺跡から中国絹の断片が発見されています。古代ローマ帝国では絹の価値が同量の金と同じあったことから使用禁止令がでるほどでした。

 日本にはすでに弥生時代に絹の製法は伝わっていましたが、品質は中国の絹に及ばず、日本の上流階級は中国の絹を珍重し、日中貿易の原動力となっていました。鎖国が行われてから品質改良が進められ、貞享年間(1685年)になると品質が改善され、幕府は輸入を規制し、生産を奨励した結果、江戸時代中期には中国の絹と遜色がなくなり、開港後は絹が日本の重要な輸出品となり、明治以降の日本が近代化を進める上で、重要な基幹産業となりました。

1909年(明治42年)には日本は生糸生産量で清を上回り世界最高となりました。

 

5.紙

 紙とは繊維を絡み合わせて均一に成型したものを指しているようですが、英語の(ペーパーPaper)はパピルス(Papyrus)からきていて、(Paper)は薄い記録媒体を意味しています。

パピルスは古代エジプトで紀元前3000~2500年ころから茎の芯を長い薄片にして縦横に並べたもので、繊維を絡み合わせたものではなく、厳密には「紙」に当たらないのですが、それに文字を書くのに使用されていたようです。

繊維を絡み合わせて均一に成型した「紙」は2100年前の前漢時代に大麻の繊維を使って作られましたが、文字を書くためのものではなく、鏡(銅鏡)などの貴重品を包むのに使われていたと考えられています。その後、紀元2世紀の初めごろ技術の改良がなされ、文字を記録することができるようになりました。

8世紀ごろイスラム世界に伝わり、11世紀ごろには大量に造られるようになり、ヨーロッパへも輸出された。

13世紀にはイタリアのファブリアーノ(Fabriano)で紙が造られヨーロッパの紙の供給地になりました。

1450年頃にグーテンベルグにより活版印刷が実用化されると紙の需要が拡大し、主原料である亜麻や木綿のぼろが不足し、

1719年にフランスのレオミュールは、木材から紙を作ることができるという内容の論文を発表し、1851年には苛性ソーダを用いた化学パルプの製造がイギリスで成功し、1854年に実用化した。