電信の歴史について解説

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電信(でんしんElectrical telegraph)は電気を利用して符号を送信、受信する通信手段です。
モールス符号による電信と、テレタイプを用いた機械電信(印刷電信)などがあります。
電報は電信技術を用いて行われた通信サービスです。
電信はデジタル通信技術の発達にともない様々な情報を送受信するデータ通信へと発展しましたが、これらを電信と呼ばないのが普通です。

電信の歴史(電信以前)

1729年 英国ステファン・グレイ( Stephen Gray)は静電気によって300フィート(約100メートル)先の銅線の先端で放電させることに成功した。
1746年オランダ人ピータ・マッシェンブレーケ( Pieter van Musschenbroek)とドイツ人ジョージ・クレイスト(Ewald Georg von Kleist)は電気を蓄えるライデン瓶(Leyden jar)を発明しました。
1753年チャールス・モリソン(Charles Morrison)は各々の静電気発生装置に各文字を対応させ、各々電線を1~2マイル離れたところまで引き、そこで火花放電をさせる火花放電による通信に成功しました。

1780年ガルバーニの蛙の脚の実験

1800年アレクサンドロ・ボルタ( Alessandro Volta)はガルバーニの実験を知って、2種類の金属の間に湿った布をはさんだ電池を発明しました。
1809年 ゼンメリングは遠方に文字に対応した電気分解装置を設置し、それとボルタの電池を電線でつなぐことによって、文字を伝送することに成功しましたが、電気分解で泡ができるのに時間がかかることと多数の電線が必要なことから実用になりませんでした。
1820年エルステッドはボルタの電池を使った実験でたまたま近くに置いてあったコンパスが動くのに気付き,電流の磁気作用を発見しています。この知らせを聞いた多くの人たちはそれを応用した通信の研究を始めます。
1816年に英国のフランシス・ロナルズ(Francis Ronalds)が検電器を使用した電信システム(ロナルズの電信機)を作ったと言われています。

1820年エルステッドの報告を聞きアンペールは電線と磁針(方位磁石)による通信方式を提案しました。
1821年Michael Faradayは電磁誘導現象を発見しました。これは電流の磁気作用の逆の磁気作用から電流が発生することがわかったのです。
1825英国のウイリアム・スタージオン(William Sturgeon 1783-1850)は鉄に電線を巻き、1個の電池で9ポンドを引き付ける電磁石を作り電気通信の基礎を作りました。
1830年米国のジョセフ・ヘンリー(Joseph Henry 1797-1878)は1マイル離れたところの電磁石でベルを鳴らす実験に成功しました。

磁針を用いた電信(Needle telegraphs)

1831年ドイツで、ロシアの外交官のシーリング(Schilling)は遠方にある磁針まで電線を引き、その電線に電池で電流を流すと磁針が振れることを利用して5つの磁針で文字を記号化し文字を伝送することに成功したが、記号化が複雑で利用されませんでした。
1833年には磁力計を改良して電流に敏感に反応する検流計を作り、電流の流れる方向を変える装置を作り、それを組み合わせて遠く離れた検流計の磁針を動かすことができるようになり、ゲッティンゲン大の物理研究所と天文台の間1kmに導線を敷設し、最初は時間合わせに使用しましたが、その後、磁針の振れを4段階に調節することによってアルファベットも送信(ガウス・ヴェーバー式電信機)することができるようになりました。
1836年英国のウイリアム・フォーギル・クックとチャールス・ホイートストン(William Fothergill Cooke、Charles Wheatstone)はシーリングの電信装置を改良し、5針式電信装置で実用的な電信の可能性を実証しました。

  この電信機はエルステッドが発見した、電線に電流を流すと近くの方位磁石の針が動くことを利用し、電流の方向を変えると磁針の振れる方向が変わることから、5個の磁針を設置し、その内の2個に電流を流し、磁針の方向が交差する点の文字が相手側にも伝わることから、容易に文字を伝えることができる5針式電信機を発明しました。
1837年クックとホイートストンは最初の電信会社を設立しました。
1840年クックとホイートストンは最初のニュース配信を実施しました。それはロンドンで女王の誕生を伝えるものでした。
1845年1月3日英国のロンドンで殺人事件があり、犯人が列車で逃亡しましたが既に電信が使用されていて犯人の特徴を次の停車駅のある警察に連絡して、列車が到着する前に警察官が駅に待機して犯人を逮捕する事件がありました。

モールス符号を用いた電信(Morse telegraphs)

1835年米国のサミュエル・フィンレイ・バジャー・モールス(Samuel Finley Breese Morse)は細長い紙に電磁石でマークを記入する方式で電流パルスを送ることに成功した。
1837年モールスはニューヨーク大学で電信実験(現在のものと異なった符号)を行い、1838年1月6日最初の実験に成功します。
1838年にモールス(Samuel Morse米)はモールス符号を使用する電信機(improvement in the mode of communicating information by signals by the application of electric-magnetism)の発明(us1647 1840/6/20, app1838/4/7)しました。
1838年2月8日にフィラデルフィアのフランクリン協会で公開実験に成功しました。
1840年6月20日に 使用した符号と電信機の特許を取得しました。

1844年モールス(Morse)は改良した符号(モールス符号)を使用して、ワシントンの国会議事堂内にある最高裁の古い部屋からボルチモアまでの電信のテストライン約40マイルが1844年5月24日に完成し、電信実験を行いました。その時の最初のメッセージは旧約聖書からとった「これは神のなせるわざなり!(What hath God wrought!)」でした。

海底電信ケーブル

1851年にドーバー海峡横断電信が敷設されロンドンとパリが電信で結ばれ、英国もヨーロッパ電信ネットワークに組み込まれることになります。
1854年4月に黒海海底ケーブルがクリミア戦争中の開通して、海底ケーブルによる電信が脚光を浴びるようになりました。

1861年米国で南北戦争が始まり、軍事作戦上電信の重要性が認識されるようになりました。
1861年10月24日米国大陸横断電信が開通しました。

初期の送信機

モールスの送信機は、機械式の継電器の接点を手動で開閉するものでした。
紙テープを事前にせん孔してそれにより接点を開閉する方式の自動送信機を1846年にベインが発明しました。
1866年からイギリスのホイートストンが製作した自動送信機が広く使われました。

初期の受信機

1837年にアルフレッド・ヴェイルが発明した、紙テープに電磁石で動かした針の圧力で刻むエンボッシング方式が最初に使われたが、紙の巻き取りなどの不正確さ等で判読に苦労するものでした。
1846年通信士による音響受信(送られてきた信号を人が直接聞いて文字を記録する)による電信を開始しました。機械式継電器の音で符号を判別する音響受信は最初禁止されていたが、同時筆記が可能なため、のちに広く行われるようになりました。
1854年にトーマス・ジョンがインクで印を付ける方式を考案しました。また、1860年代には、紙テープを動かして固定したペンに接触させたり離したりする方式に改良された。

国際モールス符号は短点(・)と長点(-)を組み合わせて、アルファベット・数字・記号を表現する。長点1つは短点3つ分の長さに相当し、各点の間は短点1つ分の間隔をあける。また、文字間隔は短点3つ分、語間隔は短点7つ分あけて区別する。標準的な英文におけるアルファベットの出現頻度に応じて符号化されており、よく出現する文字ほど短い符号で表示されています。

電信事業の開始

1851年4月1日には米国で列車の運行計画を電信で実施するウエスタンユニオンという電信会社を設立し営業を開始しました。
1851年英仏海峡横断の海底電信線が敷設され、11月13日から業務を開始。これは、後の国際電信業務の始まりと言われています。
1858年8月5日大西洋横断電信が完成し、16日ビクトリア女王からブキャナン大統領に電報(ビクトリア女王陛下の祝電)が送られました。しかし、1ヶ月足らずで不通になってしまいました。
1913年多重通信8chが導入されました。
1925年テレタイプを導入されました。
1936年バリオプレックス(72ch多重通信)を導入されました。
1959年ファクシミリを導入されました。
1959年TELEX(テレタイプライターサービス)を導入されました。

日本に電信が伝わったのは、安政元年(1853)年のことでした。ペリーが幕府に電信機を献上したのです。
 ペリーの遠征記には、日本人が電信実験に極めて強い関心を示したことがしるされています。