量子力学の世界では不可思議な現象が多いが、その中でも「エンタングルメント」は直感ではなかなか理解出来ない。エンタングルメントとは、二つ以上の離れた系の間に見られる量子力学特有の相関関係で、二つの粒子が「波動関数」でもつれた状態にある時(量子もつれのペア)、二つの粒子を離しても、その「もつれ」がそのまま続く。粒子の状態は観測を行うまでは分からないが、一方の粒子を観測をすると、もう一方の粒子の状態も影響を受けて、観測をしなくともその状態が分かる。この影響は光より速く瞬時に伝わるので、光速を超える物質は存在しないと言う特殊相対論に矛盾するように思える。これを最初に指摘したのは、アインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンでの三人で、頭文字を取ってEPRパラドックスと呼ばれた。アインシュタインはこれを「不気味な遠隔作用」と呼び、「自然の事象が本質的に確率的である」と主張する量子力学の基本的な考え方に反発し、「神はサイコロを振らない」と量子力学を否定し続けたが、間違っていたのはアインシュタインの方だった。
たとえば、電子はマイナス電荷と小さな質量の他に、スピンという性質を持つ。この電子のスピンは、実験で1/2である事が分かっている。このスピン状態には2つあり、便宜上「上向き」と「下向き」と表現される。1つの電子は同時にこの両方の状態を持つ事が出来き、観測するまではどちらの状態にあるのかは分からない。しかし観測すると、重ね合わせ状態からどちらかの確定した状態へと変わる(状態の収縮)。状態の重ね合わせという概念は理解しがたく、「シュレーディンガーの猫」という有名なパラドックスを生んだほどだ。この電子1粒子の重ね合わせが2つペアになった状態が量子エンタングルメントである。一方の粒子を観測してその状態が分かれば、もう一方の粒子の状態は観測するまでもなく決まってしまう。たとえば、A粒子が下向きだと観測されれば、その瞬間B粒子は上向き状態に決まる。このようにエンタングルメントの関係にある2つの粒子は、どんなに離れていてもこの性質を示す。2粒子の間に何かの作用を伝達するような粒子があるわけでもない。完全なもつれにある2粒子は、何光年も離れていても一瞬で伝わるので、何らかの粒子が媒介しているのなら、その粒子は光の速度を超える事になり特殊相対論に矛盾する。現在の理論では説明が出来ない。
素人にはこれだけでは何の事やら分からないので、大阪大学大学院基礎工学研究科教授井元信之氏の分かり易い説明を引用させて頂く・・・「夫婦が一人ずつ東京と大阪に旅行した時、大阪に行ったのが女と観測されれば、東京に行ったのは男と瞬時に分かる。これも相関だが、二人がどちらに行くか決めて別れた時点でコトは終わっていた。これは古典的相関と呼ばれる。ところが量子論では二つの粒子が別れた後も見えない赤い糸で結ばっている事がある。たとえばベル状態と呼ばれる二つの光子は、片方が偏光フィルターを通過すれば、もう片方は通過しないという相関がある。これだけなら古典相関だが、大阪で誰かが全然別の偏光フィルタで篩いにかけるという操作をすると、東京の光子はその篩いを通らない性質を持つように変わる。これをもっと進めて組合せ事象を吟味すると、個々の確率分布や合成確率分布などで説明できない事象、つまりどう考えても後ろで赤い糸で結ばっているとしか考えざるを得ない事象が出てくる。これはエンタングルメントが古典論で説明できない一例だ」・・・。
このような粒子の状態という情報は、遠く離れていても光の速度を超えて一瞬で伝えられる。しかし、量子エンタングルメントのみで意味のある情報を遠く離れた相手に送れない。良く引き合いに出される説明として・・・「アリスとボブがエンタングルメントの関係にある2つの粒子を1つずつ持っていて、アリスが月に、ボブが火星に旅行すると仮定する。2人は目的地に着くと、自分の持つ粒子の状態を観測する約束をしている。アリスは自分の持つ粒子Aを観測し、下向きスピンという結果を得たとすると、その瞬間ボブが持っている粒子Bは瞬時に上向きスピンだと分かる。しかし、この結果には2つの可能性が考えられる。1つは、アリスが先に月に着いて自分の粒子Aを観測し下向きスピン状態を得た。もう1つはボブが先に火星に着いて自分の粒子Bを観測し上向きスピン状態を得た。この2つの可能性のどちらが起こったのかを知るには、例えばアリスはボブに古典的な通信手段で連絡をとる必要がある。つまり、量子エンタングルメントだけでは意味のある情報を伝達する事は出来ない」・・・がある。
そこで考え出された方法が、3つの粒子を使って量子状態を送る「量子テレポーテーション」・・・まずアリスとボブがエンタングルメントの関係にある2つの粒子AとBを1つずつ持つ。そして、月と火星とに別れてから、アリスはテレポートしたい第3の粒子Xと自分の粒子Aとでエンタングル測定を行う。これは、AとBのエンタングルメントを断ち切って、XとAとをエンタングルさせるようなものだ。このとき、粒子Bはエンタングル測定の4通りの測定結果に対応して、4通りの状態のどれかを取る。この段階ではボブの粒子Bの状態は粒子Xと同じ状態になっていない。そこで、アリスが通常の古典通信手段で自分の測定結果をボブに知らせてやる。すると、ボブの粒子Bは100%粒子Xの状態に変換される・・・古典通信の助けを借りて量子テレポーテーションが完成する。実際、これは実験で確かめられた。
1997年、オーストラリアの量子物理学者アントン・ツァイリンガーがカナリア諸島で行なった実験では、ラパルマ島の実験室で絡み合った光子のペアを作り、片方のA光子をラパルマ島に残し、片方のB光子を144キロ離れたテネリフェ島にレーザーで送る。そしてテレポーテーションさせる予定のC光子を用意して残したA光子と合体させてその状態を測定し、その測定結果をテネリフェ島に知らせた瞬間、テネリフェ島にあるB光子はラパルマ島のC光子のコピーへと変化した。三つめの光子は物理的にテネリフェ島には一切送っていないし、伝達する方法もないので、これはまるでテレポーテーションしたかのようにしか解釈できない(実際は瞬間移動ではないが)。
さらに1998年以降、物理学者・古澤明氏等が無条件での量子テレポーテーションの実験に成功した。2004年には3者間、2009年には9者間の量子テレポーテーションに成功し、量子もつれを使う情報通信ネットワークの構築(量子もつれと古典的情報伝達を併用する事で、離れた場所に量子状態を転送する手法)の実現が可能な段階に入った。量子もつれの関係にある2つの量子は、一方の状態を観測するともう一方の状態が瞬時に確定するのでテレポーテーションと呼ばれるが、量子そのものが瞬間移動する訳ではない。量子もつれの関係にある2つの量子は、前述のEPRパラドックスにちなみ、EPR相関をもつEPRペアと呼ばれる。EPRペアである光子対を作成し、伝えたい情報を付加し、他の場所に伝送後、伝送前の光子対を観測した結果を伝送先に古典的情報手段で伝える。その情報を使い伝送後の光子対を復元すると、伝えたい情報が再現される。途中で盗聴のような操作が入ると、量子もつれの状態が変化して、伝送後には状態変化が分かるので、盗聴の有無を判別できる。盗聴以外でも伝送時に何かの誤差が入り込んだ場合にも状態変化が分かるので、エラー補正が可能な量子コンピュータの構築も研究されていて、実用化が近い。
*人間の状態を転送して、遠く離れた場所にコピーが出来るのか?
ブライアン・グリーンは、映画スタートレックのような人間の瞬間移動は出来ないが、コピーを離れた場所に作ることは理論的には可能だと言う(その場合、元のオリジナルはバラバラになってしまうが)。理屈はそうかもしれないが、現実には非常に飛躍した話で、技術的には無理だと思う。