アレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell 1847/3/3-1922/8/2)
ベルはスコットランドのエディンバーグ生まれで、父は聾唖者に発声法を教える専門家でした。
彼も父の仕事を継いで発声法の研究をし、同様に唖者に発声(Visible speech)を教えていましたが、1870年に家族でカナダへ移住し、ベル自身は1871年にアメリカへ移住し、1873年にボストン大学の発声生理学の教授となります。そこで、機械的に音声を再現することに興味を持ち始め、音の変化を電流の変化にして、またその逆を行うことが出来れば、電線を通じて電流を流しことによって光の速度で会話を伝達できると考えたのです。
1876年3月7日に米国特許(174,465)が与えられ、3日後の10日には音声を送話器で電流に変え、その電流を受話器で音声にすることに成功したのです。(詳細は電話の歴史を参照して下さい。)
最初の電話による会話は、ベルが助手を呼ぶ「Mr. Watson, come here. I want you. ワトソン君ちょっと来てくれ」というものでした。
1877年1月には日本人による会話も行われ、同年11月には日本に電話機が輸入されています。
1877年7月7日にはベル電話会社(Bell Telephone Company)を設立しますが、当時の情報伝達手段としては郵便による手紙が主体で、速さを売りにした電報(電信)がネットワークを作っていて、初期の電話のネットワークは限られた地域限定されていたことから、電信を頼むときに使用される程度と考えられていて、事業的にも経営は困難を極め、電話の特許を売却しようとしましたが、買い手が無かったという今では考えられないような出来事もありました。
1877年に「電話の研究」という著書を出版しています。
その後、電話事業の実質的な経営からは離れていきますが、交換機の開発やネットワークの整備が進み、ジーメンスやエジソンが炭素粒を用いた性能の良い送話器を発明し、受話器にも改良が加えられたことから会話が明瞭に伝えられるようになります。
彼が亡くなる1922年にはアメリカで電話の普及率が10%を超えており、40年代になると急速な発展期を向かえることになります。
現在、その電話ネットワークにインターネットが入り込み、電話ネットワークはインターネットに飲み込まれようとしています。