従来から、ある原子を高温にすると光を出しますが、その光は独特の色をしていることが知られており、光の波長毎の強さを観測(分光)するとある幾つかの波長のところだけが強い輝きを持っていて、その他ではほとんど光の輝きが無いことがわかっていました。ある波長のところだけが輝くことをスペクトル線とい、それぞれの原子に特有のパターンがあることがわかってきましたが、その発光のメカニズムは理解されていませんでした。
また、1900年にプランク(Max Planck)は黒体放射(Black body radiation)の実験結果から放射方程式(Planck Radiation Formula)を作りましたが、この式に使用されているプランク定数(Planck’s constant)の物理的な解釈は当初理解されていませんでした。
後にナトリュウム原子に光を当てるとそこから電子が放出される光電効果の実験で、放出される電子の持っているエネルギーとその電子の振動周波数を測定したところ周波数と電子のエネルギーには比例関係があり、その比例定数が求められました。この比例定数がエネルギーの最小単位にあたり、ここから量子力学が始るのですが、当時は説明できない不思議な現象として知られていました。
これらに答えを与える発見や発明の始りは1897年にJ・Jトムソンによって電子が発見(トムソンの実験)され電子が発見され、その重さ(質量)と、電気(電荷)を帯びていることが知られるようになってきました。、1911年にラザフォードが原子核を発見(ラザフォードの実験)すると、原子モデルが提案され、水素の光スペクトルの説明ができるようになりました。しかし、 電子には更に不思議な特質(スピンまたはスピン角運動量 (Spin angular momentum)と呼ばれる性質)があることがわかってきました。 これは電気とは無関係と思われていた磁石の根本にかかわることや超伝導現象に係わることが分かって来たのです。更にはスピンを利用した論理素子が実用化されようとしています。
ここでは、電子の持つ不思議な性質スピンについて考えてみましょう。
1896年にオランダの物理学者ピーター・ゼーマンはナトリウム原子を加熱して発光させ、磁界をかけたとき1本だった光スペクトル線が数本に分かれることを発見しました。これが、ゼーマン効果(Zeeman effect)と呼ばれる現象です。
当時は1897年のJ・Jトムソン(J.J.Thomson)が電子を発見するよりも前のことですので、原子に構造がある(原子とはこれよりも小さく分割できない存在とされていました)ということはまだ考えられていませんでしたが、それでも、原子の中に電荷を持った粒子が存在していて、それが振動していなければならないと考えられました。
電子が発見されると、電子がどのように振動しているのか説明することのできるモデルの構築が科学者たちに求められ、その努力がなされました。
1911年にラザフォードによって原子核が発見(ラザフォードの実験)され、原子の構造が明らかになり、1913年にボーア(Niels Bohr)は地球が太陽の周りを自転しながら公転しているように、電子が原子核の周りを公転(軌道運動)しているとするボーアモデルが提案され、従来発見されていた水素の光スペクトルの説明ができるようになりました。
ゼーマン効果を説明するには電子が自転しながら公転していると考えると説明できるのではないかとラルフ・ローニンが提案しましたがパウリ(Wolfgang Ernst Pauli)は厳しく批判したようで、これを公表しませんでしたが、ジョージ・ウーレンベックとサムエル・ハウトスミットも同様な考えに至り、それを公表しました。
パウリの批判は、古典的な電磁気理論(マックスウエルの方程式)では、電子の回転(電子の表面速度)が光の速度をはるかに超えていなければならないことが明らかになり、これは、アインシュタインの相対性理論である光の速度を越えられないという原則に反していることからのようです。
更に不思議な現象として、1922年にステルン・ゲルナッハの実験(Stern-Gerlach Experiment)で、磁界中を銀原子が通過するとき通過経路が上向きに変化するものと下向きに変化するものがあることが発見され、電子には2通りの磁気作用があると考えられるようになりました。
1925年にパウリ(Wolfgang Pauli)は電子の本質的性質の一つとして「二つの量子的自由度」を導入し、パウリの排他律(Pauli exclusion principle)を構築しました。それは、二つのフェルミ粒子は同じ量子状態を占めることはできないという物理学では非常に重要な原理です。
ここで、量子状態とは、厳密には主量子数n(K殻=1)、軌道量子数(s l=0,p l=1,d l=2,f l=3)、方位量子数(ml )、スピン量子数(ms 2種類)で区別されます。
例えば同じ電子の軌道に同じ電子が2個入ることはできないが、スピンの方向が違う電子は異なる量子状態に属すると考えてよいので、2個の電子が入れます。フェルミ粒子(一般の物質を構成している粒子で電子、陽子、中性子等)のスピンは±1/2です。
1927年にパウリは電子にスピンという「量子的自由度」があるとして量子力学の基本方程式であるシュレーディンガーの波動方程式(Erwin Schrodinger’s wave mechanics)とハイゼンベルクの力学行列式(Werner Heisenberg’s matrix mechanics)を使って、スピンの公式化に成功しました。それは、パウリのマトリックスと呼ばれ、行列式(マトリックス式)にスピン変数を導入したものです。
行列式(式)とは連立一次方程式の性質を判定する方法として行列式(determinant)があり, その行列式の係数を縦・横の行列にしたものをマトリックス(matrix)と呼びます。
電子は発見当時から電荷を持った粒であるとしていましたが、干渉現象も観測され波動性をもっていることが証明されました。
1927年にハイゼンベルクは不確定性原理(uncertainty principle)で電子の位置と運動量を観測するとき、位置を先に確定して運動量を確定しようとしても確定(計算)できない、逆に運動量を先に確定すると位置が確定できなくなる。 つまり、物質の位置と運動速度の両方を正確に観測することはできないことも証明されました。
1928年にポール・ディラック(Paul Dirac)は量子状態を数学的に表現する方法(ディラック方程式)を作り、相対性理論と量子論を融合して、、その方程式を解くことによりスピン等を数学的な方法によって説明できるようになりました。
1932年にフォン・ノイマンは演算子理論によって量子力学に厳密な数学的基礎を与えました。
1940年代にファインマン、フリーマン・ダイソン、シュウィンガー、朝永振一郎らによって量子電磁力学(量子力学に基づいた電磁方程式)が構築されました。量子電磁力学は電子間のクーロン相互作用は光子という粒子の受け渡しによるものとする考え方で、特殊相対性理論と量子力学を結びつけたディラックの電子論(ディラック方程式)では説明できない水素原子の 2s と 2p 準位のずれ(ラムシフト)などを説明できる。
1940年にパウリは(spin-statistics theorem)で排他原理の相対論的取り扱いを提案しフェルミ粒子のスピンを1/2整数とする定理を作りました。